活字離れ

「活字離れ」
「長い文章は読まれない」

ここのところ、連続して別々の知人から耳にした言葉です。

昨今では動画やSNSなどの台頭により、長文を読む機会が減っているかもしれません。

そうなると、長い文章を読むのが億劫になっていくのでしょうか?
それとも単に読書が苦手になるのでしょうか?
時短命で、長文は時間の無駄だと感じるのでしょうか?
活字に対し、集中力が維持しにくくなるのでしょうか?

いずれにせよ周りから活字離れの話を聞くようになりました。

時短の傾向

「文字を読むのが面倒だから、動画で知識を得ている」
動画では、内容をまとめてくれる投稿者さんがいます。
私もお世話になっています。すごく助かりますね。

文字の世界だけではなく、動画に関しても「切り抜き動画」とか「ファスト映画」といった用語を聞くようになりました。
ショート動画も増えているような。

だんだんとボリュームが削られていく点では、動画も端的なものが好まれる傾向にあるのかもしれません。
(といっても人気がある方の動画は、ロングでも再生数が多かったりしますが)

また、情報は耳で仕入れるという方もいらっしゃいますね。

となると、苦手意識よりかは、時短を求める意識の働きが強めなのでしょうか?
理由は分かりませんが、とにかく端的なものを好むような意見を、ここのところお聞きします。

ひとつ私の見解としては、自分で資料をまとめると、活字に触れる機会が増える。
人様がまとめてくれた情報に頼りすぎると、“活字を読み、情報を集め、考えて整理する機会”は減る。

活字から離れすぎると、読む力はちょっとずつ失われていく気はします。
ただし、調べ物をするということは、時間をかけるということ。
「限りある時間を、調べ物やまとめる作業に使うのはもったいない」という意見も出てきそうです。

インプットの時短。一長一短か?それとも一短のみか?
そもそもそれが、活字離れと直結するかは別問題かもしれません。

周囲から聞いた「活字離れ」に関しては、善悪だとかメリットデメリットだとかの意見はありません。
明確な答えを持ち合わせていないからです。

ただし情報媒体において読み手から「時短」や「端的な説明」が求められるのであれば、これはデザイナーの出番でもあります。

なぜなら、デザインによって瞬時に興味を引きつけたり、原稿を整理して分かりやすく配置したりと、サッと伝わるように意識して作られているからです。

デザインによる時短

たとえばキャッチコピーは超短文ですが、想像力をかき立ててくれます。
見出し。不要な見出しはスキップして、次の見出しを確認するでしょう。
写真イラストは、千の言葉で説明するよりもうまく、瞬時にイメージを伝えることができます。
グラフが無かったとしたら、ひたすら数字の羅列を見ることになるでしょう。
地図がなければ、言葉で順序立ててゴールまでの道筋を伝えなければいけません。

このように、言葉だと冗長になりやすいところを、デザインで端折ることができます。
つまり端的である、といえます。

娯楽性・話題性・ストーリー性のあるものなどは、興味があれば長くても読み進められます。
そうではない事実を淡々と伝えるようなお話は、端的に見やすく分かりやすく伝えた方がベターかもしれません。
読み手の負担が減り、最後まで読み進めてもらえる確率が上がるからです。

;